彩色地蔵尊寳樹院に伝わるこの彩色地蔵尊像は、『享徳年中(1452〜1455)に順了房と言う僧が造立したもので、この順了房はこの地蔵尊に彩色を施すつもりがその前に亡くなってしまう。順了房が亡くなったことを悲しんだ弟子たちは、数年をかけてこの地蔵尊に彩色を施し、明應6年(1497)8月28日にその開眼供養を執り行う。その後明應9年(1500年)7月にこの地蔵尊は、奈良の白毫寺に寄進され、白毫寺の多宝塔の本尊仏として祀られることになる』(地蔵尊の蓮華台座に書かれた縁起による)
この地蔵尊が寳樹院に祀られた経緯は不明であるが、昔より8月の「施餓鬼大法要」ではこの彩色地蔵尊を施餓鬼棚にお祀りし、参詣者のご先祖供養を行っている。
この白毫寺の多宝塔は、大正6年に当時の大富豪藤田男爵が買い取り、宝塚市長尾山にあった男爵の別邸に移築される。その後「井植山荘の多宝塔」として知られるが、平成14年3月の山火事でこの多宝塔は焼失してしまう。