浄土宗 寳樹院

[文化財] 伝えていきたい まちの たからもの

解説 平成4年に行われた木像調査の結果、当寺のものと瓜二つの木像並びに厨子のセットが大阪岬町の理智院と天王寺の珊瑚寺に伝わっていることが判明した。ただ珊瑚寺のものは火災(昭和55年)で消失しており、現在は残っていない。
理智院では秀吉公木像が境内の「豊国廟」に祀られていたことから、当寺の木像も秀吉没後に「豊国廟」に祀られていた神像=豊国大明像であった可能性がある。
寳樹院は、『摂陽群談』の記述などからして、桑山氏ゆかりの寺院であることが明らかであり、この木像は少なくとも江戸初期から当寺に伝えられていたものであることは間違いないが、桑山氏と尼崎、或いは摂津との関わりは、現在のところ全く不明で、なぜ尼崎に同氏ゆかりの寺院が存在するのかは明確ではない。
津田三郎氏(「雑兵物語」「秀吉の悲劇」など著書多数)は、『四国にある「豊国神社」の御神体と厨子も寳樹院のものとよく似ていることから考えると、この木像も秀吉の晩年にその命令により作成され、側近の家臣に分け与えられたものの一つであり、拝領した桑山重晴が自分の肖像と共に納めたものであろう』と推理されている。

尼崎市指定文化財豊臣秀吉木像菊桐紋蒔絵厨子
[木像] 高さ 23.5cm 最大幅 28.5cm 最大奥行 19.6cm
[厨子] 高さ 43.5cm 屋根奥行 29.2cm 同左右 38.8cm
厨子には高台寺蒔絵が施され桐紋は「慶長桐」の様式をよく伝えており、葉の図様から慶長十年代(1605〜1615)の作風と見られる。元は、朱色の地ぬりの上に銀梨地であったと推定される。
尼崎市指定文化財桑山重晴木像
[木像] 高さ 23.5cm 最大幅 28.5cm 最大奥行 19.6cm
[厨子] 高さ 43.5cm 屋根奥行 29.2cm 同左右 38.8cm
木像は出家後の法体姿で僧衣をまとっている。左掌と左足裏に「☆」の陰陽印がある。厨子には菊桐蒔絵は施されず、秀吉公木像厨子との格差を表している。

木像出展記録

1993 3月25日〜5月5日 「豊臣秀頼展」大阪城天守閣博物館
1997 4月〜10月 「豊臣秀吉展」大阪市立博物館(大阪)・サントリー美術館(東京)
名古屋市立美術館(名古屋)
1991 10月12日 「豊臣秀吉展」(天守閣復興六十周年記念特別展)大阪城天守閣博物館
2001 10月6日〜11月18日 「桑山一族の興亡」展 奈良県新庄町歴史民俗資料館
2011 10月5日〜11月27日 「桑山一族の興隆」展 奈良葛城市歴史博物館
2011 10月8日〜11月13日 「天下人と尼崎」展 尼信博物館
2015 10月17日〜11月29日 「桑山一族紀州和歌山から大和新城へ」展 奈良葛城市歴史博物館
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