浄土宗 寳樹院

[お寺の歴史] とおいとおい はるか昔の ものがたり

縁起寳樹院のある地域は、飛鳥時代に武庫川河口の大洲濱として、大島があった。
万葉集にも『武庫の浦の 入り江の洲鳥羽ぐくもる 君を離れて 恋に死ぬべし』とあり、また未木集の藤原信実の歌には『霧晴るる 猪名野を行けば武庫の島 月をぞ見つる 宿はなくして』と、武庫川と大島のことが詠まれている。
当時この武庫川河口付近には漁業を営む氏族の雀部氏が住しており、平安時代には大嶋雀部(ササキベ)荘として荘園が成立している。当寺の檀家に笹部(雀部)氏が数軒あるが、その末裔であろうか。
寳樹院は現在浄土宗知恩院末寺であるが、その昔は真言宗の寺院であったことが本堂内の古い仏像等から知ることができる。ただ創建当時のことは旧記が天和年間(一六八一頃)に流失したため不明である。
「摂陽群談」(一七〇一)、「摂洲名所記」(一七九六)などの寳樹院(寳集院とも記す)の項には、『武庫群東大嶋村にあり。天正年中、桑山修理大夫再建。太閤秀吉公影像、桑山法印像、ともに仏殿に安ず。本尊弁財天、秀吉公の御帰依仏なり。』と記している。
また文禄元年には、大檀那である笹部淡路守重政が寳樹院中興として過去帳に記されている。なお、浄土宗としての寳樹院は、慶長年間に乗譽宥尊上人が開山上人となり、その後およそ四〇〇年間、三十九代の歴代住職により法燈が護られ、今日に至っている。

寳樹院中興笹部淡路守重政
「寛政重修諸家譜」、「駒井日記」、「柳原家記録」などによると、笹部重政は永禄二年(一五五九)に生まれ、始め三好康長に仕え、後の天正十一年に豊臣秀次に仕え、天正十九年には従五位下に叙任され、文禄三年には大小姓衆四組の一つの組頭を命ぜられている。
文禄四年、関白豊臣秀次が秀吉との不仲により、高野山にて切腹を命ぜられたとき、その介錯の役目をおおせつかり、秀次の首を落として自らも切腹をして殉死したのである。享年三十七歳。
寳樹院の中興となったのは、秀吉によって主君も自分も殺された、いわば秀吉を敵とする笹部淡路守重政。
そして彼の死後、秀吉の家臣である桑山重晴によって寳樹院に豊臣秀吉の木像が安置されることになる。
今から四百年程昔、寳樹院では秀吉を軸としてこんな不思議なドラマが展開されていたのである。
寳樹院再興桑山重晴
「寛政重修諸家譜」、「国史大辞典」の記述によると、桑山重晴は大永四年(一五二四)尾張の国に生まれ、始め豊臣秀吉と共に織田信長に仕え、天正十一年の賤ヶ岳の戦いで大きな戦功をたて、後秀吉の家臣となる。但馬竹田城主として従五位下を賜り、後に豊臣秀長に属し和歌山城主となり、また和泉の国主として四万石を領有した。彼はまた千利休門人として茶を学ぶ茶人であり、豊臣秀吉のお伽衆としても活躍した。
慶長元年(一五九六)に家督を譲り入道し、僧名を果法院宗栄、また治部法印とも号した。同十一年十月一日八十三歳で没した。京都市紫野大徳寺の清泉寺に葬る。

寳樹院略年表

世 紀 年 号 時 代 寳樹院関係の出来事
この時代までの寳樹院(寳集院)についての詳細は不明である
1573〜1590 天正年中   桑山重晴、寳樹院を再興する
1592 文禄元年   笹部淡路守寳樹院の中興となる
1595 4年   笹部淡路守高野山にて自刃、享年37歳
1605 慶長10年 江戸 桑山重晴、寳樹院へ「豊太閤像」を安置
1606 11年   桑山重晴83歳で没す
      乗譽宥尊、「浄土宗寳樹院」の開山となる
1708 宝永5年   善導・法然両大師像作成安置
1785 天明5年   二十二世門津上人本堂を再建
1857 安政4年   二十九世戒誉大順上人入山
1880 明治13年 明治 五重相伝会勤修される
1891 24年   三十一世福誉円寿上人遷化
1895 28年   五重相伝会勤修される
1898 31年   三十二世斉誉香堂上人遷化
1908 41年   五重相伝会勤修される
1912 45年   庫裡改築、授戒会勤修される
1918 大正7年 大正 五重相伝会勤修される
1931 昭和6年 昭和 菅田光雄上人寳樹院入山、三十七世を継承
1949 24年   五重相伝会勤修される
1960 35年   菅田良雄上人寳樹院入山、三十八世を継承
1963 38年   五重相伝会勤修される
1964 39年   光雄上人、「正僧正」を賜う
1966 41年   本堂落慶法要勤修される
1971 46年   9月:三十七世光雄上人遷化
1976 51年   寺報「紫雲」第1号を発行
1981 56年   知恩院吉水講寳樹院支部発足
1985 60年   地蔵尊石像、観音勢至両菩薩像開眼
1991 平成3年 平成 三十九世一誉良典晋山式勤修
1993 5年   豊太閤木像、「豊臣秀頼展」に出展(大阪城天守閣博物館にて開催)
1994 6年   豊太閤木像等、尼崎市文化財指定を受ける
1996 8年   豊太閤木像、NHK主催「秀吉展」に出展(大阪、東京、名古屋にて開催)
1997 9年   四天王像開眼、本堂に安置
1999 11年   36年ぶりに五重相伝が勤修される
2013 25年   法然上人800年大遠忌記念事業境内大改修工事始まる
2014 26年   法然上人800年大遠忌記念事業境内大改修工事完了
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